2004年5月27日

記事内容に機種依存文字を入れちゃダメ

不覚にも、前回の記事内容に機種依存文字を入れていた(ローマ数字の"2"。全角数字で書き直したけど)。そのため、生成されたRSSはXMLパーサでの解析に失敗する(というより、well-formedでないと見なされる)代物となってしまっていた。これが原因で、Bulkfeeds:Similarity Searchのサービスを受けるのに支障を来たしちゃった。いやだねぇ、機種依存文字。

Posted by Takuma at 01:25 | Comments (0) | TrackBack

2004年5月19日

Gmail上限が1テラバイト?

プライバシーな問題で論争があるGmailだが、現状でユーザに割り当てられている容量は(実験的だが)1TBもあるらしい。凄すぎ、やりすぎ。

ITmedia:グーグル、本気か?!――Gmailの実験で上限を1テラバイトに
米国時間18日に、同社が提供するウェブベースの電子メールサービス「Gmail」の一部のユーザは、自分に割り当てられたストレージの上限が密かに100万Mバイト(1テラバイト)まで引き上げられていたことに気付いた。これは典型的な最新のハイエンドPCが内蔵するハードディスクのほぼ4倍に相当する容量だ。

それにしても、これだけのストレージをネットワーク上に所有できるとなると(信頼性があれば尚更、無償かどうかは別としよう)、クライアントとしてCD-ROMから起動するOSなんてのもかなり現実的に感じられてくるなぁ(LindowsCDみたいなやつ)。ネットワークの速度がもっと向上すればね。

1テラバイトというのは、誤表記だったらしい。つまんない。
Internet Watch:グーグル、保存容量1GBの「Gmail」で“1TB”と誤表記

けっこう、このネタをBlogに書いてる人が多いようなので、BulkfeedsでSimilarity Searchしてみた。このエントリーに似た記事は別に読む気にならんが、各記事にSimilarity SearchのBookmarkletを置いてみてもいいかなあ。

Posted by Takuma at 23:26 | Comments (1) | TrackBack

2004年3月31日

technology * eroticism

ドッギングトゥーシングの記事からわかることは、イギリスの流行は過激であるということと、「テクノロジー×エロ」の果てしない可能性だろう(真顔)。
エロの力が原動力となって、新しいテクノロジーが普及する例は多い(と思う)。アダルトビデオによるVHSの普及や、Internetでエロサイトを見たいがためにパソコンを買ったオジサン達、P2Pテクノロジを使ったエロファイル交換などなど。ただし、エロ目的でのみ使われるテクノロジーであれば、多分バイブと同じで、普及率もたかが知れたものになってしまうだろう。テクノロジーの普及を手助けするのが、エロというだけの話。つまり、ブルートゥースを使った(エロくない)サービスはいくらでも考えられるが、爆発的な普及の第1歩がトゥーシングのようなエロい流行(たとえ話ね)、というのは往々にして有り得る(と思う)。
エロにしか使えないテクノロジーは普及しない。でも、テクノロジー普及の手っ取り早い足がかりはエロ!間ぁ違いないっ!

さて問題、何回「エロ」と書いたでしょう?

Posted by Takuma at 06:04 | Comments (1) | TrackBack

2004年2月17日

ライフログ

前回のエントリーで、個人記憶の蓄積について、

個人を越えたもっとでかいレベルでは国防総省が何かやろうとしてるらしい。
と書いた。これは、米国防総省の国防高等研究計画庁(DARPA)が立ち上げた『ライフログ』(LifeLog)プロジェクトのこと。HotWiredの記事(2003/05/20)によると、

あらゆる個人情報を記録する米国防総省の新プロジェクト
個人のあらゆる行動が1つの巨大なデータベースに放り込まれることになる。送受信した電子メールから撮影した写真、閲覧したウェブページ、通話、視聴したテレビ番組、読んだ雑誌に至るまで、とにかくすべての行動が含まれる。

という感じ(規模デケーよなぁ)。蓄積した大量の個人情報を使用して、個人生活におけるコンテキスト(『脈絡』と訳されてた)を追跡することで、いろんなことがわかるんだそうだ。目的は軍事とか国防とか。さらに、2003/07/29の記事では、

米国防総省の『ライフログ』プロジェクト、真の目的は人工知能構築
「われわれの最終目標は、より堅固で安全、人間の役に立ち、長期にわたって使用でき、ユーザーやタスクに対する順応性に富んだ新世代のコンピューター・システムを完成させることにある。そんなシステムに必要なのは、初めての出来事に遭遇しても、論理的に考え学習し知的に反応する力だ」

とのこと。はい、出ました、人工知能。それが本当に“真の目的”かどうかは知らんが、チャレンジングではある。で、そんな壮大な目標を持ったライフログだったが、2004/02/06の記事では、このプロジェクトの中止が伝えられている。

米国防総省、問題の『ライフログ』プロジェクトをひそかに打ち切り
ライフログは1月末にひそかに中止されたが、同プロジェクトに詳しい複数の研究者も、理由はわからないとしている。DARPA側はワイアード・ニュースの取材に対し、「優先事項の変更」としか回答せず、具体的な理由を明らかにしていない。

中止の理由はどーでもいいけど、残念だなぁ。この辺の分野はかじってたこともあるので何かと技術的興味は尽きないのよね。俺が死ぬ頃には、ちっとは進んでんのかなぁ。
いずれにしろ、この記事、リンク集でしかないなぁ。。。

続き。『ライフログ』は、戦闘地域で活動する兵士の『ASSIST』システムに組み込まれることで、復活。
中止された米国防総省『ライフログ』プロジェクト、新名称で復活か(上)
中止された米国防総省『ライフログ』プロジェクト、新名称で復活か(下)

Posted by Takuma at 01:49 | Comments (0) | TrackBack

2004年2月 9日

ホームパーティで感じた個人の記憶の儚さ

英語を習っている先生の家(道玄坂)で、ホームパーティ。オールで飲みまくり。結構広いアパートだけど、一時は50〜60人の人がいて(日本人も外人も男も女も)、DJしてる人もいて、そこはもうクラブ状態。おもろかった。
写真でも撮っとくべきだったと、今になって思っているが、写真一枚じゃ伝えられそうにない雰囲気。映像が必要だと思う。でも2〜3分じゃダメだな。少なくとも、DJ、踊る人、日本人♂のタバコ芸、関西弁を巧みに話す外国人、外国人からの俺へのツッコミの数々("Cute!"、とかね)、来てた人全員の顔とか収めておきたかったね。
その日限りで、知り合って喋るだけの人が多いもんだから(同郷の人らとはちょっと仲良くなったけど)、すぐ忘れちまう。まぁ、2度と会わない人がほとんどだろーから、そーいう人達は俺にとってはどーでもいい存在なんだけど(さめた表現だけど実際そう)、完全に忘れ去って思い出せなくなっちゃうのはイヤなんだよなぁ。。。
話題的には古いが、マイライフビッツ(My Life Bits)という、MSのプロジェクトがある。HotWiredの記事によると、

MSの新プロジェクト:人生の出来事すべてをディスクに保存する『マイライフビッツ』
マイライフビッツは、撮った写真やホームビデオ、閲覧したウェブページ、書き送った電子メール、かけた電話、支払った請求書など、個人の生活の主要部分をコンピューターの記録ディスクに保存することを目指している。

という感じらしい。自分のマルチメディアな思い出や、人とのコミュニケーション、関心事などが時系列でキチンと整理されて、簡単に探すことができ、かつ各々がうまくリンクされていれば、それは悪くない気がする。まぁ、そんな膨大な情報(二度と参照されない不要な情報を多数含むだろう)を持っていても仕方ないとは思うが(「現在」がおろそかになりそう)、俺はなんとなく、そーいうのを失いたくない派。
でも、俺が使いたくなるレベルに達するまでには、問題がいくつかある。そのうちの(おそらく最も大きな)一つが、インターフェース。四六時中カメラ回してるわけにはいかないもんね(箸より重かったらダメよ、厳しい?)。感じたこととかはさすがに(テキストor音声で)入力するしかないか。あと、ただの膨大なコンテンツが保存されるだけじゃヤなので、あらゆる種類の情報・知識のリンク付けと、素晴らしい検索インターフェースも欲しい(さっきも書いたけど)。検索があっても、「何を探したい」という気持ちにならない可能性もあるので、事あるごとに想起させてくれるようなエージェントも欲しい(お節介なヤツだったら、やっぱりイヤ)。
でも個人的には、セピア色な思い出がやたらリアルで完璧なコンテンツになるのはどーなのかという感じはしないでもないかもねぇ(「セピア色&記憶は断片♪フィルタ」とかでダイジェスト生成されると楽しいかも)。
ある人のBlogでは(初めて他人にTrackBack)、
Going My Way: どこまで記録に残すべきか?
この世に残すべき記録とそうでないものをどう振り分けるかが大事かも。

と書いてあった。これは人手ではやってらんないよなぁ。あと、個人記憶については、公開・非公開性あるいはアクセス権限、認証なんかが超柔軟に設定でき(信頼できるレベルで自動がいいなぁ)、かつ超堅牢に構築されるべきだと思う。また、俺が死ぬときには完全に削除されて欲しい。というのも、この世に残すべき記憶があったとしたら、どこかに残っているだろうし、自らが記録を残すまでもなく、皆の記憶に残りつづける人物が実際のところ重要なコンテンツであり、世に残すべきモノなんだろーから。エンタメ的な意味では、俺の記憶は一見の価値アリだろーけど;-) ちなみに、個人レベルでの使用を越えた高度な使い方をする場合は、話は別。
いかん、収拾がつかん。このテの話は、いろんなトピックを含むから、ターゲット絞んないとダメだな。ちなみに、個人レベルでのアプリが最も俺の関心を惹きつけるのだけれど、個人を越えたもっとでかいレベルでは国防総省が何かやろうとしてるらしい。それについては、気が向いたら書くか。
と、まぁ、個人の記憶の儚さについて思うところがあるわけだが、「今を生きる」みたいな刹那的なお方になりたいとか思ってたりもする。「写真?なにそれ?」みたいな。矛盾しまくり。

酒飲みながら書いたのがまずかったかな。。。でも何気に雲丹とシャンパン、合うねぇ〜。

Posted by Takuma at 03:24 | Comments (0) | TrackBack